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鹿児島地方裁判所 昭和30年(ワ)190号 判決 1956年9月13日

原告 松元直

被告 酒瀬川隆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者の求める判決

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し枕崎市枕崎字入佐三三六五番宅地三十二坪および同所三三六五番の乙宅地六坪の地上に在る家屋番号枕崎三八〇七番木造瓦葺二階建居宅兼店舗一棟建坪二十坪二合五勺外二階七坪を収去し、右二筆の土地を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、

被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求めた。

二、原告の主張(以下陳述の要旨を摘記する)

(一)  請求の原因

原告が明渡を求める前記一、に記載する二筆の土地(以下本件土地という)は、原告の父松元厚の所有であつたが、昭和三十年五月二十六日原告は同人より贈与をうけてその所有権を取得し、同日その移転登記の手続を終つた。被告は本件土地の上に原告に対抗しうるなんらの権利なくして前記一、に記載する建物(以下本件建物という)を所有することにより、原告の土地所有権を侵害しているので、原告は、被告に対して、土地所有権に基き本件建物を収去して本件土地の明渡を求める次第である。

(二)  被告の主張に対する答弁

(1)  原告の父松元厚より被告に対してなされた贈与が仮装のものであるとする被告の主張事実は否認する。

(2)  本件土地につき松元厚と被告との間に被告主張のような賃貸借契約の成立したことは認める。但し、賃貸期間については、これを五ケ年と定め、その後は貸主の必要に応じていつでも明渡すという特約があつた。

(3)  被告は右賃貸借を原告に対抗しうるものと主張しているが、右主張はつぎの二つの理由により排斥されるべきである。(再抗弁)

(イ) 右賃貸借契約は、原告が本件土地を取得した昭和三十年五月二十六日以前に消滅している。すなわち、昭和二十九年十月十日松元厚と被告間において、右賃貸借契約を合意により解除し、被告は昭和三十年四月末日に本件土地を明渡すべきことを約していた。

(ロ) かりに、右賃借権消滅の主張が認められないとしても、被告は本件土地につき賃借権の登記もなく、また原告が本件土地を取得してその所有権移転登記をなした昭和三十年五月二十六日当時には被告は本件家屋については未だ保存登記をしていなかつた。(被告が建物保存登記をしたのは被告主張のように昭和三十年七月十八日である。)したがつて、被告には対抗要件がないから、第三者である原告には右賃借権を主張することができない。この点に関する被告主張の建物保護法の解釈は原告として容認できない。

三、被告の答弁(以下陳述の要旨を記載する)

(一)  請求原因事実の認否

原告主張事実中、本件土地がもと原告の父松元厚の所有であつたこと、本件土地につき原告がその主張の日に所有権取得登記をなしたこと、被告が本件土地を占有し、同地上に本件建物を所有すること、はいづれもこれを認めるが、その余の事実はこれを否認する。

(二)  贈与について

かりに、松元厚と原告間に原告主張のように土地贈与契約が成立したとしても、右契約は以下述べる理由により無効であるから、原告は本件土地の所有者ではない。すなわち、本件土地は、次項に述べるとおり、被告が昭和二十三年来松元厚より賃借しているものであるが、地価が最近高騰するや、たまたま被告が本件家屋に建物保存登記をしていなかつたことを奇貨とし、松元厚および原告は通謀のうえ、本件土地の明渡を求める便法として、贈与契約を仮装し、登記簿上本件土地の所有者が松元厚より原告に交替したという形式を整えたものにすぎない。かかる消息は原告を含む松元一家の家族の生活関係や数筆にわたる土地所有状態からも容易に推知しうるところである。

(三)  賃借権の主張

(1)  つぎに、仮りに、原告主張の贈与が認められるとしても、被告は本件土地につき原告に対抗しうる賃借権を有することを主張する。すなわち、被告は昭和二十三年三月頃、松元厚より本件土地を、建物所有の目的をもつて、地代を一ケ月三百円と定めて(その後累増し、昭和二十八年三月以降は千五百円)、期限の定なく賃借し、その頃本件建物を建築したものであり、右建物については昭和三十年七月十八日その保存登記をしたものである。

(2)  原告は、右賃借権は昭和二十九年十月十日前主松元厚と被告間の契約により合意解除により消滅したと主張しているが、右合意解除の事実は否認する。

(3)  なお、原告は右賃借権は建物保護法に定める対抗要件を具備していないから、被告はこれをもつて原告に対抗しえないと主張しているが、この点については、被告はつぎのように主張する。

(イ) 建物保護法第一条の解釈として、土地の譲受人が前主の相続人である場合にはその譲渡がたとえ相続以前に行われた場合であつても相続によつて取得した場合と同様に取扱うのを至当と解するがゆえに、かかる譲受人は同条に規定する第三者には該当しないものと信ずる。したがつて、本件の場合は、被告の建物の保存登記がなくても前主の相続人である原告にはその賃借権を対抗しうるものである。

(ロ) かりに右解釈が採用されないとしても被告は権利濫用の抗弁をもつて対抗するものである。

すなわち、被告は本件家屋において自転車の修理販売業を営み最近本件土地附近が漸く繁華街となるに伴い商売もまた向上しつつあるものであるが、被告にとつては商売をなしうるような適当な移転先はない。目下被告は肺結核をわずらい臥床の身であるが、万一本件土地を立退かざるを得ないとすれば、被告家族は路頭に迷うことになる。

しかるところ、原告は被告の賃貸人の子であり、その土地譲渡の経緯は(二)において述べたとおりであり、原告としては、被告を立退かしてまで本件土地を使用する必要はないのである。

かかる事情の許にある際、原告が被告にたまたま建物保存登記という対抗要件のないことを理由に土地明渡を求めようとすることは信義則に反する次第である。

四、証拠<省略>

理由

一、本件土地がもと原告の父松本厚の所有であつたこと、右土地につき昭和三十年五月二十六日贈与を原因として右厚より原告に所有権移転登記がなされたこと、ならびに右土地の上に被告が本件家屋を所有することは、いずれも当事者間に争がない。しかるところ、被告訴訟代理人は右厚より原告への本件土地贈与の事実を否認し、かつかりに贈与契約がなされたとするも右契約は真実所有権を移転する意思で行われたものでなく、単に被告に対し本件土地明渡を強行する便法としてなされた仮装の贈与であるから無効であると主張するので、まづこの点につき判断する。

証人松元厚、同松元堅、同松元太の各証言(いずれも後記措信しない部分を除く)および前者の証言によりその成立の認められる甲第三号証によれば、原告は松元厚の三男で、兄堅の家に寄遇して飼料商を営んでいたが、堅の家は六畳三畳の二間しかないのに、その家族は堅を含めて四人もいるので、原告が同家に同居することは間取りの点からも困難であり、のみならず、他方堅は養鶏業を営んでいるのであるが、原告が堅の家に同居して同一世帯になつている関係上原告の商売が独立の稼業と認められず、したがつて税金も高いなどという不利益もあり、とにかく原告の同居は種々の難点があつたので、原告に将来本件土地上で独立して商売を営ませる目的の下に、父厚が昭和三十年五月二十六日に本件土地を原告に贈与したものと認められる。もつとも、後記認定事実からすると、右贈与のなされた半年以上前から厚は被告に対し本件土地の明渡方を強く交渉しており、おそらく厚および原告は昭和三十年の年末頃までには被告が本件土地を明渡すものと期待していたことが伺われるのであるが、本件土地贈与がなされるに至つた動機原因は右に認定した事情のとおりであり、被告主張のように単に明渡強行のための便法としてなされたものとは認め難く、他の証拠のうえにおいても被告の主張を裏付ることはできない。

二、つぎに、被告は仮定抗弁として賃借権の存在を主張しているので、この点につき判断を進める。

被告が昭和二十三年三月頃建物所有の目的で本件土地を原告の父厚より地料一ケ月金三百円で賃借し、その後地料が順次増額され、昭和二十八年五月以降一ケ月金千五百円となつていることは当事者間に争がない。右賃貸借の期間について、被告は期間の約定はなかつたと主張し、原告は賃貸期間は五年としその後は貸主の必要に応じて明渡すという約定であつたと主張しているが、証人松元厚の証言(後記措信しない部分を除く)と弁論の全趣旨によれば、期間については、原告主張の通り、五年間と定め、その後は貸主の必要に応じて被告が移転の上明渡す、という約束があつたものと認めるのを相当とする。もつとも、このような特約があつたとしても、右特約は借地法第二条第一項に違反して無効であるから、借地権の存続期間は結局期間の定めのない場合と同様三十年ということになる。さて、原告訴訟代理人は、右賃貸借は昭和二十九年十月十日厚と被告との間で合意解除し、被告は厚に本件土地を翌三十年四月末日までに明渡すことを約したものであるから、被告の賃借権は原告の土地取得以前にすでに消滅した次第であると主張するに対し、被告訴訟代理人はかかる事実を否認しているので、さらにこの点につき判断を進める。

この点に関し、証人松元厚、同松元堅、同松元太、同松元ちやはいづれも原告の主張に符合する証言をなしているが、これらの証言部分はいづれもこれを全面的に真実であるとはうけとり難く、むしろ、証人酒瀬川禎二、(第一回)同園田彦兵衛の各証言、被告本人の供述および成立に争のない甲第四号証ならびに弁論の全趣旨を綜合するとつぎのような経緯を認めることができる。

前認定のように、原告の父厚は、原告をして独立させる必要を感じていたところ、本件土地の賃貸期間が前認定のように一応五年間と定められ、その後は貸主の必要に応じて明渡すというように約定されていたので、厚は右五年の経過後である昭和二十九年十月頃から被告に対し土地の明渡方を求めたが、被告は移転先がないという理由でこれに応じなかつた。かくて厚は、被告のために安留という者の所有家屋を借りられるようにしたから、そこに移転するようにと要求するに至つたが、被告がその借りられるという家を検べたところ借りられる部分が四坪位しかなくて問題とならないため厚の右申出にも応じなかつた。ここにおいてか厚および原告はその遠縁にあたる園田彦兵衛という老人を介して被告に明渡方を交渉した。この園田は以前自転車商を営んでいた人で、被告は十七歳から約五年間同人の店に弟子として住込み、同人から自転車修理の技術を教わり、その後被告が独立して自転車商となつてからも、屡々同人の世話になつている関係上、園田は被告にとつてはいわゆる頭の上がらない人であつた。この園田が被告方に来り、本件土地から前記安留所有の家に移転する旨の約定書を書けと要求したが、被告は一応考えさして貰いたいと言つて一度は断ることができたが、昭和三十年六月七日頃園田は再度被告方に来り、病臥中の被告に対し右約定書を書けと強く迫り、ついに被告をして安留氏所有の家に森氏(その家の賃借人と思われる)が退去後昭和三十年年末迄に移転する旨の約定書(甲第四号証)を書かせたものである。しこうして、右約定書は園田彦兵衛自身が証人として自陳しているように、同人が強い剣幕で全く命令的に被告に書かせたものであるので、被告の任意の意思に基くものとはうけとり難く、思い余つて一時しのぎに記載したものと推認される。

以上認定の経過に徴すると、原告主張の合意解除はこれを到底認め難く、いわんや、証人酒瀬川禎二、(第一回)同松元厚の証言とその成立を是認すべき乙第八号証によれば、昭和二十九年夏頃より同年暮頃にかけて、被告は本件家屋の二階に増築工事をなし、その際厚は右増築工事をなすことを承諾していることが認められこの事実もまた上記否定的判断を助長するものと言うべきである。

されば、原告が本件土地を厚より取得した昭和三十年五月二十六日当時は被告の賃借権は有効に存続していたものというべきである。

三、よつて残る問題は、被告はその賃借権を原告に対抗しうるかという一点である。

原告が本件土地の贈与をうけてその移転登記をなした昭和三十年五月二十六日当時被告の本件家屋にいまだ保存登記のなされていなかつたことは当事者間に争がない。被告訴訟代理人は土地譲受人が前主の相続人である場合には相続による取得と同様に建物の保存登記がなくてもその譲受人に対抗しうるという解釈(東京地裁昭和二九・五・二九の判決と同旨)をとつているが、当裁判所は右解釈には賛成しない。けだし、その立論の基礎は相続人は早晩相続するであろうから相続した場合と同様に取扱うべしというのにあろうけれども、当該譲受人が相続するか否かは未必のことであるから、この点に一応の疑問がある。のみならず、相続人の地位にある以上賃借権の存在につき善意悪意を問わず一律に対抗させるということは善意の譲受人に対しては一般論として酷である。問題の根本は悪意の譲受人に対しても建物の保存登記がなければ賃借権を対抗しえないという解釈(大審院大正一〇・一一・一〇の判決)につき、今や反省の必要がないかという点にあるのである。

この点につき、当裁判所は悪意の譲受人が前主の妻子その他の近親者(相続人に限定するのは狭きに失するものと考える)である場合には、賃借人は賃借地上に建物を所有する以上、その保存登記がなくても、その賃借権をもつて右譲受人に対抗できるものと解するのを至当と信ずる。

しこうして、これを本件の場合に照すに、原告が前主厚の三男であることは当事者間に争なく、上来認定の事実と弁論の全趣旨に徴すれば、被告が前認定のように本件土地を厚より賃借して本件建物を所有していたこと、ならびに厚が被告に対して昭和二十九年十月以降本件土地の譲渡に至るまで本件土地の明渡方を要求して来たことを原告は十分熟知しており、かつ本件土地の譲受後は自らも引続きその明渡交渉を継続していたことが明かであるから原告は要するに譲受当時被告の賃借権の存在を知つていたもの――悪意の譲受人――にほかならないと認めるべきである。

はたしてしかりとすれば、被告は建物保存登記がなくても譲受人である原告に対しその賃借権を対抗することができる次第であり、爾余の点は判断するまでもなく原告の請求は理由がないこととなる。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東秀郎)

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